レグのたまご

半世紀の記憶を記録

子供の頃になりたかったもの

子供の頃は何になりたかったですか?

 

この質問

聞かれたことが無い人

ほとんどいないと思います。

 

私も質問してしまうことがあります。

何になりたかったか?

私は、なりたかったものより「なぜそう思ったか?」

に興味があります。

 

子供の頃は

「かっこいー」って思えば「なりたい!」と思うし

子供の頃になりたいと思ったものには、

その原因とか思うきっかけがあるもの

 

その人の

人となりや幼少期を垣間見ることができる

そんな質問なんだろうなと思っています。

 

私自身、子供の頃になりたかったもの

お医者さんと学校の先生でした。

 

幼少期、とても身体が弱く

月に1度は医者に行くという感じで

転勤が多かった父に帯同し引っ越す都度

母は真っ先に医者を探していました。

小学校低学年の頃

休みすぎで授業についていけなくなりそうな時

担任の先生がまめに家庭訪問して補講してくれました。

 

お医者さん先生

学校の先生

 

「先生」に助けられて今の自分があると思ったら

頂いた恩を返さなければと思ったんですよね。

素直な子供の頃に思った「なりたかったもの」です。

 

子供の頃になりたかったもの

思い返して

なぜそう思ったのか?って自分に問うてみると

子供の頃の心を思い出せるのではないでしょうか。

 

⬇ 参加してみました。

生産性を高めるとは

生産性を高める

というフレーズ

最近よく耳にします

 

勉強会やセミナーや書籍

国の政策としても重要視しているから

まぁそうですよねぇ

 

欧米に比べて低い生産性の日本企業…

ブームにのって生産性を高める活動が活発になる

とても良いことだと思うのですが…

 

当社は◯◇システムを導入して◯△管理の効率化を実現!

このように常に生産性向上に取り組む会社です!

 

みたいな宣伝文句をみかけませんか?

作業の手間を省く・・・

よーく考えてみると

それって本当に生産性向上の取組みなのでしょうか?

って思うこともしばしば

 

システム導入

使用前と使用後

それは違うと思います。

で、継続的な取り組みは?

 

次のシステム導入は☓☓業務の効率化!・・・

しかし予算が…キャッシュが…

少し先になりますがこれからも継続してシステム導入を…

 

生産性向上のためのシステム導入・・・

ちまたでこればかり取り沙汰されてしまっている感じがして

なんだかなぁ〜

 

手間がかかっている仕事を見直して

2時間かかる仕事が1時間に!

 

これも生産性を高めるということになりますよね。

人は減りませんから人件費は下がりませんね。

空いた時間をどう使うか?を考えなければなりませんね。

 

生産性を高める

いろいろな視点で考えることができます。

システムを導入して効率化!というフレーズに

気を取られない過ぎないように気をつけて

取り組む課題なのです。

 

⬇ 参加してみました。

ラジオ出演

大学生時代の話

 

当時、まだ始まったばかりのラジオ番組

三宅裕司ヤングパラダイス

を好んで聞いていました。

 

ある日の放送

皆さんから「ヤンパラ」を広く知ってもらうための

宣伝アイデアを募集します!

という企画があって

 

テレビやラジオにはがきを送るなんてことはこの時が初めて

この番組はきっと人気が出るって思っていた

単にノベルティーやサインをいち早くゲットしたいという下心

採用になるかもわからないのに・・・

 

はがきを送ったことも忘れそうになるころ

自宅に電話が…「三宅裕司ヤングパラダイスです」と。

ラジオ番組から電話ってなんで?

 

これ、ラジオへの出演依頼だったんです。

 

スタッフから概ねの説明をうけた後、

三宅裕司です。はがき読んで出演して欲しいって思ったんです。よろしく。

そして…

ヤンパラのオープニング

某コーナーに電話出演したのでした。

 

はがきで送った企画もちゃんと番組で取り上げてもらいました。

企画の採用に出演とダブルでゲット!

しかしノベルティーゲットは一式でした(^_^;)

 

企画が採用されるという喜びを初体験する出来事でした。

 

そしてこの出演の翌日・・・の話はまたの機会に。

 

⬇ 参加してみました。

偏差値30からの数学問題集

こんなタイトルの問題集って売れますかね?

瞬間に疑問に思ったことを覚えている。

 

大学生時代に登録していた家庭教師センター

自宅2階の一室を事務所にしていて

ものすごくちっちゃいとこでした

 

暇があれば遊びにおいで

的な所長(今思えば社長だったのかも知れない)

年齢もそれほど離れていなかったし

兄貴の下宿に遊びに行くみたいに

ちょこちょこ遊びに行っていた

 

所長の夢とか

教育への想いとか

 

工学部に通いながらも教員になることを考えていた私には

いろいろと勉強にもなった

 

所長は

落ちこぼれとかできない子とか言われている子供たちのために

追いつけなくなった場所を見つけられる問題集を作りたい

と熱く語っていた

そして「偏差値30からの数学の問題集」を出版する!と言い出した。

  

発売され書店に列んでも

ニーズがあったとしても

売れないだろうなぁって思いました。

 

けど「作りたい!」と熱く語る所長

当時私は「できない子を伸ばす」というキャッチで

何人かの生徒を教えていました。

そのノウハウを書いて欲しい!と乗せられて…

手伝いたいと思っちゃって… 

問題集の構成、解説あれこれ、手伝いました

無償ボランティアで。

  

ネットも通販もほとんどない時代

それなりに売れた…と聞きましたが本当のところは定かではありません。

 

今でも時々当時を思い出して思うんです。

マーケットはあったのだろうか?ニーズはあったのだろうか?

所長はこれらを考えていたのだろうか?

 今なら、通販専用にすれば売れるのかも知れないな?…ETC.

 

そして「こんなタイトルの問題集って売れますかね?」って思ったこと

マーケティング的な考え方」初体験な出来事だったのかも知れないな

などとも思うのです。

 

⬇ 参加してみました。

記憶に残る上司

バイトや会社員に「上司」っていますよね。

特に会社員

多くの会社員は良くも悪くも最初の上司の影響をうけるもの

そして恩師と同様、記憶に残るものではないでしょうか

 

あんな上司になりたいとか

あぁいう上司にはならないようにしようとか

 

私は上司運は良かった方だと思います。

 

私の最初の上司

とても口数の少ない人でした。

具体的な指示も少なめで良く言えば自由に仕事する環境をつくるというか

そんな感じでした

 

デスクで仕事をしていると時折後ろから覗き込み

一言二言アドバイスあったり無言だったり

 

新入社員だった私には、指示なければどんな仕事をすれば良いのか?

と疑問に思ったり若干不満も当初ありました。

 

ある日のこと、その日も後ろから

「その仕事、俺もよくわからないからな。アドバイス出来ないなぁ。」

とつぶやくように言って席に戻った上司

その日もあまり会話も無いまま定時になり、

上司が残業する中、私は「お先します」と帰宅。

 

翌日、上司は出張で不在

デスクに資料が数枚とメモ

メモには、

参考になりそうな資料を取り寄せた。アドバイスもらえそうな人を書いておいた。

と書かれていた。

 

メモにある人に内線で連絡をとると的確なアドバイスと共に

「彼(上司)も私に行き着くのに色々あたったらしいよ」と聞かされる。

 

指示するという感じではなく、それとなく後方支援してくれる

そんな上司でした。

 

この時を境に私は自ら仕事を探して

「こんなこと考えてみたのですが?」

と提案するようになっていきました。

 

NOと言われたことは一度もありませんでした。

そして上司のスタイルは同じでした。

自分以外の誰かを探してくれてデスクにメモ…

これも同じでした。

 

一緒に仕事したのは3年くらいでした。

ある時ふと気づいたんです

自分の仕事に関わる社内のスペシャリストを把握できてることを

 

チームで仕事するとか

役割分担するとか

得意な人のノウハウから学ぶとか

そんなこといろいろを学ぶ機会も与えてもらった気がします。

 

最初の上司

やはり大きな影響をうけたなと思っています。

⬇ 参加してみました。

エスカレーター降り口は危険?

あちこちに設置されているエスカレーター

 

ある日、駅に設置してあるエスカレーターの降り口で

「あぶないな」

と思った出来事

 

混雑しがちな駅のエスカレーター

降り口にガード(手すり?的な)があって

 

お年寄りが降り口でゆっくり歩く。。

エスカレーターは次々に人を運んでくる。。

お年寄りは降りてすぐ横に避けたくてもガードが邪魔で避けられない

お年寄りを先頭にあわやプチ将棋倒し。。。

 

エスカレーターを降りたら素早く離れないとお年寄りでなくても

おっとっと・・ってなることもある

 

これ、ちょっと考えた方が良いのでは?

と思ったのでした。

 

⬇ 参加してみました。

転校生が校則を変える@生徒総会

最近はどうなのでしょう

私が中学生の頃は、随分といろいろな「校則」がありました。

 

中学2年生になる春、私は転校しました。

そしてその年の全校生徒総会で1つの校則を変えました。

 

当時、女子は通学時革靴と決まっていました。

部活動のために運動靴を持ってくる子

革靴が足に合わず、足のあちこちに絆創膏を貼っている子

そんな子たちから、この校則を変えて欲しいと

生徒会の議題に上がる度に却下されていたと聞きました。

 

生徒会へ提案する議案を考えるすクラス会では、

この件を議題に上げることに消極的でした。

しかし・・・

当時どんな経緯があったかについて記憶は定かではないのですが、

これを議題に上げ、私がその応援演説をすることに・・・

 

女子生徒の運動靴通学を認める議案が提示された後、先生方から、

「これまでも何度か議題にあがっていますが校則は変わっていません。改めて提示された本案について理由を説明してください。」ってな一言があって私の出番に。

 

応援演説と先生方のやり取りは概略下記のとおりでした。

 

『私はこの春転校してきました。最も驚いたことは、校内ではジャージ生活をすることです。この理由について担任の先生から「動きやすい服装の方がいざという時安全だから」とお聞きしましたが間違いないですか?』

 

地震がおきて机の下に入ったりする時、動きやすい方がいいでしょ。』

 

『通学時の女子生徒から「いざという時動きやすい運動靴で通学したい」という要望が出ています。同様に考えれば、動きやすい靴の方が良いのではないでしょうか?』

 

 

ここで生徒たちから拍手。

先生たちの中に「確かに・・・」という雰囲気も感じられました。

そして校則は変わりました。

 

校内ジャージ生活はあまりに衝撃的だったんです。

転校してすぐその理由を聞いていました。

そこから革靴通学との矛盾に気づいた。

初めての「交渉体験談」とも言うべき出来事。

 

⬇ 参加してみました。